特別無条件同化暗示感受習性

たいていの人はいろんな理屈を言うけれども、この消息をご存じない。人間の夜の寝際の心は『特別無条件同化暗示感受習性』という状態になっているのよ。つまり、無条件で同化しちまう暗示感受習性があるんです。ですから、夜の寝際にちょいとでも、それが嘘でも本当でも、良きにつれ悪しきにつれ考えたことはそのまま感光度の速いフィルムの入ったカメラのシャッターを切ったのと同じ、パーッと潜在意識に刻印されちまうんだ。 

                       中村天風「成功の実現」p112

 

夜眠りにつく時間は顕在意識から離れ無意識の世界に入っていくときである。つまり、神に体を委ねる時間である。その前に持っている想念が非常に潜在意識に影響を及ぼす。従って中村天風は夜寝る前と朝起きた時の肯定的な言葉による暗示を特に強調したのである。

言葉を変える

太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。 この言は太初に神とともに在り、 萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。

                     「ヨハネ福音書

 

確か、苫米地博士の書いた本にルータイスのアファメーションの基本はこのヨハネ福音書の一節が全ての基本になっていると記述してあったと記憶している。心を変えようとすると実体のない心に翻弄されて、いつまでも自分対自分に陥ってしまって面白くない。それよりも重要なのが潜在意識自体の内容を書き換えていくことだ。苦悩のどん底にいる人に考え方を変えろというのは無理であるが、言葉を変えろというのはできる。自分にプラスのアファメーションを設定し、だんだんと実践していく中で少しづつ自然と考え方に変化が出てくるようになる。マイナスの要素が深ければ逆転まで時間がかかるが一度、逆転してしまうと一気に効果が表れてくる。

感情が伴わなくてもいいのだ。だんだんと口に出して暗示していく中で脳が反応し、それに見合った現実を探し出すようになっていく。

考え方を変えるのではなくて・・・

考えは考えでしかないことを知ることが大切だ。思考は思考、現実は現実。知性で意味や答えを確定させたい欲求を我慢して、ただそのままの事実に任せるときに「私」を超えたところから勝手に答えがもよおされてくる。この境地が自然法爾、絶対他力の世界である。

 

心は変えられない

悩みを持つ人が悩みから抜け出れなくなるときに陥っているのが、「こんなことで悩んでいる自分を変えたい」、「この心を変えたい」という思いだ。しかし、なかなか心は変わらない。むしろどんどんと深みにはまっていってしまう。

これは心というものが自分の意思とは関係のないところで自律していることを知らないからだ。嫌な気分、不安、恐れなど人間なら誰でも嫌である。しかし、あえてそのような心の働きをその自律性のあるがままに任せていると不思議とその思いが消えていくものである。

つまり、その不快な思いを悪いもの、病的なものと決め、それを治さないといけないと思うときにその思いは自分の中で存在感を増してしまう。そしてそれがさらに悪化していくと薬を使って思いを失くそうとする。しかし、そんなことをしても同じことだ。現代の精神医学がいかに間違った指導をし、人々を誤った方向に導いているかがわかる。

不快なときは不快なまま、嬉しいときは嬉しいまま。心に手出しをしないのが一番である。

知性の及ばない世界

丁度川の岸へ立って、水の流れを眺めて、不快だろうか、浅いだろうか、冷たいだろうか、熱いだろうかといろいろと想像をたくましうするのと同じことだ。宗教の世界ではさういうふことを妄想と云ふ。また情識と云ふ。加賀の世界、分別の世界ではそれもよからう。が、宗教では、とにかく飛び込んでみるのである。浅いか深いか、温かいか冷たいか、自分で体験するのである。

                               「鈴木大拙全集7巻 無心ということ」p291  

 

宗教に対して批判的な人は大体、食べずに味を判断するのと同じ考えを持つ。だから合理的で概念的なもの以外は決して受け付けないのである。しかし、宗教はそのままの体験を重んじる。むしろ、知識を嫌うのである。数ある宗教家が大悟したのは自身の知識、計らいが尽きた瞬間だった。したがってキリスト教でも仏教でもその教えを知識として自身に適応させようとしているうちは、その本質はつかむことができず、その全てを手放してみたときにその真髄がわかるのである。

羅針盤

ある人が何か悪いことをしたという噂を耳にした時、われわれはよく、その人には両親が無いという。一体良心とはいかなるものか?良心とはすなわち、万人の内部に生きている唯一絶対の霊的存在の声である。

                                                                   トルストイ『人生の道』62p

 

良心とはすなわち羅針盤のようなものだ。間違った方向性に進めば警告を発し、正しい方向に進んでいれば穏やかでいてくれる。この羅針盤の指示通りに進むだけで人生はうまくいくようになっている。

 

人生論 (岩波文庫)

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久遠の今

思考の性質は過去、もしくは未来に向けられている。

過去はすでに過ぎ去った時間で在り、もうすでに取り返すことができない。

そして未来もまだやって来てもいない。人間は日々、まだ起きてもいない過去や未来に

縛られ、苦悩しながら生きている。

 しかし、「今、この瞬間」に集中して生きると自然に思考はストップし、目の前の事実の世界、あるがままの世界に入っていくことができる。そして自然と心の重みが取れていく。言い換えれば、人間が心に苦痛を感じる度合いとは「今、この瞬間」から離れるに比例していると言えるのだ。

 


「久遠の今」 ―― 谷口雅春先生ご講話