純な心

「過ちて皿を割り 驚きて之をつぎ合せて見る 此れ純なる心也」

                           森田正馬

 

 誤ってお皿を割ってしまい、「ああ割ってしまった!」と無意識につくはずもない半分のお皿をつなぎ合わせてみるその混じり気のない行動に森田先生は「純な心」をみた。

 そのあとに「どうやったら言い訳ができるだろうか」とか、「誰かに見られていないか」などと理性を使うとなるとそれはもう「純な心」ではない。

 喜び、不安、怒り、悲しみ、疑問などなど人間には様々な感情があるが、まずその感情が出てくる初一念は「純な心」である。それを、「そう思ってはみっともない」とか、「情けない」とか思い、純な心を知性で征服しようとするときに、初一念、つまり「あるがまま」は「あるがまま」ではなくなってしまう。

 この「純な心」は西田幾多郎の「純粋経験」と同じだろう。

 

森田正馬が語る森田療法―「純な心」で生きる

森田正馬が語る森田療法―「純な心」で生きる