絶対矛盾的自己同一

 人間には確かに絶対的な自己中心性というものがある。その自己中心性はどこから来たものか?

 人間が原因的存在ではなく、結果的存在ならばその「自己中心性」は明らかに人間の創造者である神に由来する。

 神は人間を創造する以前まで絶対的な自己中心性を持っていたが、人間を創造することによって完全に自己を否定するという過程を経ている。独自で存在しているという絶対的な自己中心性を捨てて、人間という存在を生み出したからだ。

 私たち人間も「自己中心性」のみを中心としては人や社会との関わりの中で生活することができない。何かしらの自己否定の過程を通して周囲との関係性を築いているのである。

 そういう面で「私」という意識は「私」という存在のみでは規定できないことに気づく。周囲との関係性を通して「私」がはじめて規定されるのである。「私」が「私」を意識し、「私」を規定しようとしても、自己を客観的に正確に判断することができないのは人間が悩みや苦悩に陥る時によく見られる現象である。

 もし、世界に「私」一人しか存在しなかったら、「私」という概念さえも獲得することはできない。だからこそ、逆説的に見れば私という存在は「私」を否定してこそ、より本質的に理解できるのである。

 だから宗教が「私」を否定するということを勧めて来たという流れは必然である。それは神が経てきた過程を人間が辿る道だからだ。

 ここから人間が幸福に生きる第一の関門というものが見えてくる。