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知性の及ばない世界

丁度川の岸へ立って、水の流れを眺めて、不快だろうか、浅いだろうか、冷たいだろうか、熱いだろうかといろいろと想像をたくましうするのと同じことだ。宗教の世界ではさういうふことを妄想と云ふ。また情識と云ふ。加賀の世界、分別の世界ではそれもよからう。が、宗教では、とにかく飛び込んでみるのである。浅いか深いか、温かいか冷たいか、自分で体験するのである。

                               「鈴木大拙全集7巻 無心ということ」p291  

 

宗教に対して批判的な人は大体、食べずに味を判断するのと同じ考えを持つ。だから合理的で概念的なもの以外は決して受け付けないのである。しかし、宗教はそのままの体験を重んじる。むしろ、知識を嫌うのである。数ある宗教家が大悟したのは自身の知識、計らいが尽きた瞬間だった。したがってキリスト教でも仏教でもその教えを知識として自身に適応させようとしているうちは、その本質はつかむことができず、その全てを手放してみたときにその真髄がわかるのである。