いつまで外に答えを求め続けるのか?
「赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入りす。未だ証拠せざる物は、看よ看よ」 ※赤肉団上とは人間の肉体のこと
「臨済録」
神を求めて教会に行き、仏を求めてお寺に通い、ありがたい教えを誰かに聞こうとする。いつまで外に答えを求め続けるのか?人間が求める究極の宗教的境地は各自に既に備わっている。
そのままの世界と人間
斧は、それを使って切る人に向かって高ぶることができようか。のこぎりは、それをひく人に向かっておごることができようか。それは棒が、それを振り上げる人を動かし、杖が、木でない人を持ち上げるようなものではないか。
イザヤ書10章15節より
外を見ると木はただ木としてそこに立っている。花はただ花として咲いている。
全ての森羅万象世界の全てが自らの役割そのままに存在している。
人間はどうか?人間だけが自身の生きる意味を問い、その役割を果たせずにいる。
デカルト批判
私は彼が、「我思う、故に我あり」との結論を出した、その瞬間の時点において、西洋哲学の悲劇的出発点を見るのである。
虚偽のものを疑い抜いてみても、こう疑っている私の疑いを疑い捨てるわけにはゆかない。疑っている何者かは真実の存在と言わねばならない。故に我ありと論じて、彼が思念のすえ到達した「我思う、故に我あり」を広言した・・・その時、明白に彼の頭には分別、分離された我という主観のものと、思うという客観のものが、許容の概念として潜在していると言わざるを得ないのである。
福岡正信「無II 無の哲学」8p
分別心を中心とした思考、言葉の中から把握した我はすでにデカルトという人間の知性の中に限定された「我」でしかない。
真実の直感を通して把握された「我」、「真我」の存在をデカルトは認識することができなかったのである。
ユングの神経症体験
ユングは十二歳のころ、学校で数学、図画、体操の授業に挫折する日々を送っていた。そしてその年の初夏のある日、友人を待っていたところ、ある別の少年から突然突き飛ばされ、足を滑らし頭を打ってしまう。
その瞬間、ユングの脳裏には「もう学校にはいかなくても良い」ということが浮かんだという。それ以降、ユングは学校の帰り道や、両親が勉強をさせようとすると決まって神経症的発作を起こすようになった。そして、結局半年にわたって学校を休むことになる。いわゆる不登校である。
そんなある日、父親の友人が家に訪ねてきて「ところで息子さんはどうですか」と会話をしている場面に遭遇する。父親は「医者は原因がわからないと言っており、今後自分で生計を立てていけるのか心配です」と受けごたえしているのを耳にした。
その時、ユングは半年に渡って不登校の夢のような生活にいたところから一気に現実に戻された。「働かなくてはいけない」という思いが湧いてきたという。そして、父親の書斎に行き、ラテン語の文法書を取り出して一心不乱に勉強をし始めた。
しかし、いつものように神経症的発作が起こる。そしてさらに勉強を続けるとまた発作が起こる。それでも我慢し続け発作の襲来に耐えながら何とか勉強しているとそれ以来、神経症は消えてしまった。ユングはその時に神経症というものがどのようなものかを理解するようになった。
- 作者: カール・グスタフ・ユング,アニエラ・ヤッフェ,河合隼雄,藤繩昭,出井淑子
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無分別の分別とは
分別を持って生きる時、全てにおいて真の分別ができない。
分別を持って生きるのをやめた時に本当の意味で真の分別ができる。
これが「無分別の分別」
なぜ悩むのか
その答えは簡単である。
自分という存在の内面を概念化して、そこに「こうなりたい」という理想の形を思い描くからだ。
しかし、あくまでそれは自分を自分の頭でイメージした概念でしかないから、つかみどころのない心の世界に翻弄され、自己不全感は更に強化されてしまう。
つまり永遠に終わることのない、「自分」対「自分」の戦いの始まりである。
だからよく、自分の心を変えるとか、決心するとかいうが、それがいかに浅はかな計らいであるかに気づいていない。心は自分の力で変えられないのだ。
自己の内面の工夫から離れ、外の対象に向かって努力するときのみ、自然に心は整っている。
人間だけに悩みがあり、動物に悩みがないのはそのためだ。動物は知性を使って内面の改善など考えないからだ。