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デカルト批判

  私は彼が、「我思う、故に我あり」との結論を出した、その瞬間の時点において、西洋哲学の悲劇的出発点を見るのである。

 虚偽のものを疑い抜いてみても、こう疑っている私の疑いを疑い捨てるわけにはゆかない。疑っている何者かは真実の存在と言わねばならない。故に我ありと論じて、彼が思念のすえ到達した「我思う、故に我あり」を広言した・・・その時、明白に彼の頭には分別、分離された我という主観のものと、思うという客観のものが、許容の概念として潜在していると言わざるを得ないのである。

                                                                                       福岡正信「無II 無の哲学」8p

 

 分別心を中心とした思考、言葉の中から把握した我はすでにデカルトという人間の知性の中に限定された「我」でしかない。

 真実の直感を通して把握された「我」、「真我」の存在をデカルトは認識することができなかったのである。

 

無〈2〉無の哲学

無〈2〉無の哲学